ハナヤマの歴史 HISTORY OF HANAYAMA

1933年、HANAYAMAは生まれました。 パズル・ゲームの専門メーカーとして 世界中に「考え悩む楽しさ」を届けてきました。
これまでのあゆみとこれからについてご紹介します。

年代別の沿革はこちら
1933
創業のいきさつと創業者花山直康について

創業は戦前の1933年(昭和8年)12月25日。創業時の名称は「花山ゲーム研究所」。花山直康が現在の港区麻布十番2-3で起業しました。

現在の社名“株式会社ハナヤマ”は、創業者花山直康と社名に由来します。その頃はおもちゃといえば、古くからあった碁や将棋、花札、カルタ、人形、すごろくなどが中心でした。明治以降、海外からトランプがもたらされ、同時に舶来物の「ゲーム」も入ってくるようになりました。花山はこのゲームに着目。当時のゲームは家内制手工業で細々と造られ、お祭りの夜店や縁日などで売られていましたが、花山はこれらゲームを組織的に工場で大量生産し、オリジナルの名前と単価を設定。さらに特許も申請しました。当時の花山を知る人は「新しもの好きでしたね。大変クールでハイカラな人でした。いち早く特許や商標権を抑えるなど、当時としては珍しい近代的な経営を知っている人でした」と語ります。

創業期のヒット商品「プーレー」、現在でも販売され続けている「ダイヤモンドゲーム」、影絵パズル「ラッキーパズル」、ファミリーゲームセットの「家庭盤」。「ボードゲームのはなやま」として、当社の業界における地位を確かな物にしていきます。

※画像は1960年代ごろのものです。

1952
戦後の再スタート

しかし、1937(昭和12)年には日中戦争、1938(昭和13)年には国家総動員法が制定。1939(昭和14)年には第二次世界大戦が勃発、1941(昭和16)年12月8日に日本は太平洋戦争(大東亜戦争)開戦。戦時体制へと突き進んでいった時代で、おもちゃの生産を許すほどの余裕を失っていきます。直康も徴兵され、生きて終戦を迎えたものの、戦後の活動が再開されたのは、1952(昭和27)年6月27日です。長いブランクでしたが、直康はこの間のことを誰にも語っていません。再スタートした会社名は、株式会社はなやま商店です。この年、のちに会社を引き継ぐ、小林邦巌がアルバイト入社しました。1935(昭和10)年11月10日、邦巌は東京都足立区生まれ、当時夜間高校に通っており、学校が近いことから昼間にはなやま商店でアルバイトしていました。邦巌は1957(昭和32)年まで勤務し、配達から仕入れ、やがて印刷業務の技術も身に付けました。1961(昭和36)年7月、東京都港区神谷町18番地に小林商店を設立。1964(昭和39)年1月24日には株式会社陽光社を設立し、下請けとしてはなやまの製造を受託していました。

1953(昭和28)年には一大ブームを巻き起こした「バンカース」が誕生。すごろくで展開する銀行家による投資シミュレーションゲームです。

1969(昭和44)年10月16日、東京都麻布十番に新社屋を完成させました。鉄骨造り、地下1階地上8階立て、延べ床面積580坪と、当時としては大型で、直康を満足させるハイカラなビルでした。

1969(昭和44)主力は「盤物」と呼ばれた盤ゲームが約20種、バリエーションを入れると100種類の商品構成でした。当時は、豊富なゲームラインナップを、一般向け、家庭向け、成年社交向け、少年少女向けの4つのカタログに分け、ユーザーにあった提案を行っていました。

1969(昭和44)※1960年ごろのカタログより

1972
はなやま玩具株式会社(株式会社ハナヤマ)の誕生

 1972(昭和47)年、直康の健康状態が悪化し、業務の継続が困難に。直康が引退しては会社が立ちゆかない。そんな時、はなやまのほとんどの製品を製造し、問屋など販路も詳しい小林邦巌に相談が寄せられました。
はなやまは戦前からの老舗であり、ブランドも確立されている。ライバル社も食指を伸ばしてくるかもしれない。それならば、邦巌に業務の継続を依頼するべきではないかと。邦巌も「はなやま」の名前とブランドが消えるのを惜しいと考えていました。こうして1972(昭和47)年9月6日「はなやま玩具株式会社」(現在の株式会社ハナヤマ)が設立されました。

1975(昭和50)年5月の「カルテット」の発売。これが後の「クインテット」となり、「ゲームスタジアム」へと発展。
同年9月には「大富豪」を発売。

1978(昭和53)年には日本初の国産「ビンゴゲームマシン」「ビンゴカード」を製造販売。穴あけ式ビンゴカードはハナヤマが開発しました。

1983
「キャストパズル(現在のはずる)」発売

1983(昭和58)年12月には「キャストパズル(現在のはずる)」を発売しました。2002(平成14)年には年間120万個を販売する大ヒット。翌2003(平成15)年にも年間130万個販売しました。
2016年には、リブランディングを行い、ブランド名は、はずすパズル「はずる」に。今まで以上に幅広いユーザーに楽しんでいただけるようになりました。現在では世界50以上の国と地域で毎年150万個以上をコンスタントに販売し続けています。

現在は60種類以上のラインナップを誇るはずるも、発売当時はこの3商品からのスタートでした。

2004
株式会社ハナヤマ スタート リブランディングと復刻

現在の代表取締役社長小林邦広が、2000(平成12)年3月に入社。邦広は1972(昭和47)年9月20日生まれ。入社すると同時に企画とマーケティング、営業を担い、既存定番商品の大幅なリニューアルを開始しました。
 やがて、2002(平成14)年「キャストパズルシリーズ(現在のはずるシリーズ)」が大ヒット、翌2003(平成15)年「STAY ALIVE!サバイバルゲーム」を発売。2004(平成16)年2月には㈱カプコンと提携しドイツゲーム「カタン」を発売しました。
2004(平成16)年3月には「株式会社ハナヤマ」に社名を変更しました。
2005(平成17)年10月には「ゲームロボット21」を復刻発売。
2008(平成20)年3月14日、小林邦広が社長に就任しました。

親世代が子供のころ大ヒットしたゲームロボットや生き残りゲームの復刻と既存商品のデザインやキャッチコピーのアップデートを行っていきました。長く販売するものだからこそ、定期的なリニューアルは欠かせません。

2006
キャラクターライセンス商品化はじまる

2006年の「明治チョコレートパズル」から始まった明治製菓(株式会社明治)とのタイアップを皮切りに、長年培ってきたパズルやゲームラインナップに人気のIPをミックスさせた商品化をスタートしました。
様々なブランドとの取り組みは当社のラインナップの柱の一つとなっています。

※これまで商品化されてきたブランド、企業名
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社、株式会社サンリオ、サンエックス株式会社、株式会社明治、カルビー株式会社、江崎グリコ株式会社、ガリガリ君、名探偵コナン、ミッケ!、JELLY JELLY GAMES、ふなっしー、くまモン、ウルトラマン、トミカ、プラレール、リカちゃん、はらぺこあおむし、ペッパピッグ、ハリー・ポッターなど
順不同/敬称略

2014
メイキングトイジャンルに参入

2014年発売のファンルームで新たにメイキングトイジャンルの取り扱いを開始。2015年から発売しているチューブレット、2020年発売のゆびあみピースなどオリジナリティやファッション性にこだわったメイキングトイを開発し続けています。

2018
はずるの海外販売拡大

 2004(平成16)年4月に香港事務所を開設、2006(平成18)年1月31日には香港現地法人を設立し、中国生産の管理とともにハナヤマ商品の海外販売も担うこととなりました。
2018(平成30)年には、はずるシリーズの販売数が年間150万個を突破、
アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア、アジアなど世界50以上の国と地域で、楽しまれるパズルブランドに成長しました。
2020年には、累計販売数が2,200万個を突破しました。

2021→2033
100年企業へ

「新型コロナウィルス感染拡大により、おうち時間を豊かにするツールとして、今まで以上に多くのお客様に当社のパズルやゲームを手に取っていただくことになりました。お客様からは多くのご意見ご要望が寄せられています。それは当社の使命が“お客様に楽しい時間をご提供すること”だということを見つめなおす機会になりました。
2021年で創業から88年が経ちました。当社は長い歴史の中で培われてきたノウハウや、世界中のクリエーターとのネットワークを通じて、
今後も、“ひとりでも、ご家族でも、みんなとでも、年齢性別国籍を問わず、笑顔で楽しめるパズルやゲーム”をお客様にお届けし続けてまいります。」

2021年6月 株式会社ハナヤマ 代表取締役社長 小林邦広